关于请求谈话的中日对照研究(日文版)
上QQ阅读APP看书,第一时间看更新

1 序論

1.1 はじめに

日本と中国は歴史的に2000年以上にわたる交流を持っている近隣の国同士として、これからの関わりもますます深くなると見られる。しかし、交流が深まると同時に、互いに対する誤解や摩擦も避けられなくなる。特に、交流の主体が属する国や地域の間に違う習慣や意識が存在するにも関わらず、交流主体の双方あるいは片方がこれらの違いを認識していない場合、交流における誤解や摩擦が起きる可能性が大きくなる。例えば、中日はしばしば同文同種の国と言われ、中国人は日本文化を「中国文化の亜流」と理解しがちである。こうした理解は重大な誤解を生む危険がある。王(2008:ⅲ)は、同文同種という言い方には理想も幻想も同居しており、理想化によって相互理解の助けになることは多くあるが、「普遍性と独自性の判断がつかずに相手を知っているつもりになり、相互の誤解を膨らませてきた一面もある」と指摘している。

人間は社会的な存在として、日常生活において人に何かを頼んだり、頼まれたりすることを頻繁に行っている。特に、外国での勉強や生活を始める際には、現地の人々に助けを求めること、いわゆる「依頼」を行うことが避けられないだろう。日本人と中国人が関わる「依頼」の場面で、誤解や摩擦が起こることがよく観察される。例えば、筆者が日本に来てからも、しばしば周囲の日本人から「中国人から次から次へと依頼されて困った」、「中国人からとんでもないことを頼まれて驚いた」というような声を聞くことがある。逆の立場で、日本にホームステイしている間に、自分がホームステイ先のお母さんに何か手伝ったら、その後直ちにお母さんがお返しをくれたことでよそよそしく感じて、戸惑った覚えがある。また、日本人の友人に何か頼まれた時、その婉曲で、遠まわしな言い方を不思議に思ったり、自分の単刀直入の依頼に対する日本人の驚いた表情に気まずく感じたりした経験もある。以上のささやかな事例から、中日で「依頼」に対する理解·認識に違いがあることが窺える。王(2008)が指摘している通り、このような違いがあること、そしてどのような違いがあるかということをお互いに知らないと、異文化間のコミュニケーションに大きな支障をもたらす恐れがある。そこで、本研究は「依頼」を取り上げ、中日両言語による「依頼」の相違点を明らかにすることを目指す。